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音叉
ラーーーーーー
笑ってにこにこよいブログ
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ブログカテゴリー 音楽 / 文字
課外活動 Soundcloud / Tumblr 

↓以下、時系列に沿って掲載
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どれくらいの人が、Twitterに本気で皮肉や妬みを書くのか。


①Twitterという場所の問題
要点【Twitterは皮肉や妬みを投稿しやすいSNSである】

 昨今、Twitterと同程度の認知度/規模を持つSNSとしてFacebookがあるが、TwitterとFacebookの最大の違いは「実名か匿名か」である。


 ●Facebook
 Facebookは実名であるので、誰が何をしたか、どういった発言をしたかが、直接付き合いのある友人に晒される仕様になっている。Facebookは、タイムラインをさかのぼれば、過去の記事/発言まですべて参照することができる。職場の飲み会で、その場にいない奴の愚痴ばかりを言う人が居る(かもしれない)が、Facebookでは、過去の発言を見れてしまうから、それができない。またFacebookは、現実との紐付けが強いため、気に入らない人が(もし)いてもフレンドを外しにくい。
→Facebookは、皮肉や妬みを書くに適さない

 ●Twitter
 いっぽうTwitterは匿名であるため、
 ○発言を知人に見られることがない
 ○フォロー/リムーブが容易にできる
 ○タグ付けなどがないため、紐付けされにくい

ということは、Facebookとは逆の理由で、Twitterには皮肉や妬みを投稿しやすいといえる(むしろそのためにアカウントをつくる人さえいる)。

②当アカウントのフォロワー分析について(どういう人が多いか)
要点【当アカウントは下を見て安心する人間をターゲットにしている】

 ●フォロワーが増える仕組み
 Twitterは、興味のあるアカウントをフォローし、その発言を一方的に読むSNSである(自分から営業はかけられないよね)。そのため、フォロワーを増やすには、ひとつひとつの投稿がより多くの他人にRTされ、より多くの他人の目にとまり、より多くの他人がこちらをフォローするのを待つしかない。
フォロワーが増えるためには、投稿に話題性/メディア性などの強烈な伝搬要素が必要である。

 ●匿名アカウントはどういう人をフォローするのか
 Twitterの匿名アカウントで他人を自発的にフォローする基準は、たったひとつしかない。
 『そのアカウントの投稿を、継続して読みたいと思うかどうか』
 Twitterで芸能人/学者/経営者などをフォローするのも、要はその人の発言に何らかの需要を感じ、発言を見たいかどうかでしかない。


 ●需要はどこからくるか
 Twitterは、ざっくり言うと、興味をひかれるおもしろさがあることが「需要があること」である。おもしろいってのは「ズレがある」ということ(長くなるんで割愛)。たとえば「おもしろい画像」とは、「本来あるべきでないものがある」「あるはずのものがない」パターンが殆ど。
→有名人のTwitterをフォローしている人は、「本来聞けるはずのない有名人の言葉」だから需要を感じてフォローしている。 
 ☆そして、世の中には、自分と相手の「立場のズレ」によって「おもしろさ」を感じる人間が一定数存在している(ぼくの最初のターゲットはここです)。

 簡単に言うと、見下しに需要がある、ということである。

③じゃあ、そいつらは一体どれだけいるのか
要点【ざっくり、『2割』です】

 ●見下し
 そもそも見下しという手法はどういったメカニズムなのかを以下に記す。

 ○社会人3年目、Nさんの場合
 自分よりハードな仕事をしている同期を見て…
 「自分はまだ楽なほうだから(仕事をがんばろう)」
 →モチベーションに転換(すばらしい!模範的な人間です)

 ○TwitterのBさんの場合
 自分よりハードな環境にいる匿名の誰かを見て…
 「まあ、あれよりはまし(だからもう少し耐えよう)」
 →一時的に押さえつけているだけにすぎない
 →そのため、自分よりつらい環境の何かを定期的に必要としてしまう
 →こういった傾向を持つ人間が、「リア充爆発しろ」と本気で言う人間である確率はとても高い(見下す対象である「非リア充」に自分が含まれているため、見下し精神安定法が使えず、あとは批判するしかなくなってしまう)←すっぱいぶどうの童話とかね

 メカニズムとしては上記になる。
 つまり、前者は他人に対して自分を下に感じて「引っ張りあげられている」のに対し、後者は他人に対して自分を上に感じて「他人の屍で自分の足場を作っている」のである。

 →皮肉や妬みを本気で言う人とのわかりあえなさは、こういった方向性の違いから発生する。

 ●数について(経験則と予想)
 組織についてしばしば言及される説に『2・6・2の法則』…上位2割が生産性を上げ、中位6割が並で、下位2割がぶら下がっている…というものがあるが、それがそのまま労働と思考の関係についてもあてはまるだろう。

 [上位2割]会社や勤労について積極的にコミットしている2割の上澄み
 [中位6割]特に何も考えずなんとなく仕事をしている6割の一般人
 [下位2割]何やら会社や労働を呪いながら生活している2割の(精神的)下位

 真ん中の6割は、いわゆる普通の労働者である。つらいときはつらいと思うし、休めるときは休みたいが、一応基本的には会社に対して従順である。些細な不満こそあれ、会社に爆発的な憎しみは抱いてはいない。しかしまた、そこまで愛社精神があるわけでもない。これが大きな層である。そして、その6割を上下にはさむようにして、上澄みと下位が、それぞれ2割づつ。この法則に基づく形になるが、個人的な統計ではフォロワーの約2~2.5割が「皮肉や妬みを書きこむ層」である(理由クッソ長くなるから割愛)。

④まとめ

 見下しをエネルギーに変えてる奴らがいて、そういう奴らがTwitterには多い(Facebookいい事しか書いてないから見下せないよね)。
 そういう奴らって、見下しでカバーできないどうにもならないことがあると、めっちゃ妬む。なんかそうしないとバランスとれないみたい。
 別にそういう奴らは多数派じゃないけど、それでも一定数(まあざっくり2割くらい?)はいると思うよ。



気付けば11月です。どうしようもありません。卒業論文とは何なのでしょうか。どうしようもありません。100曲入ったアルバムをつくるほうがはるかに簡単に思えます。どうしようもありません。

数曲、学術的根拠の乏しい音楽をつくりました。
→!!!Go soundcloud Go!!!←

ニューヨークの街の良いところは、それがとても垂直な街であるところと、そこにアメリカ人がいることの二点にあると考えています。日本人のそれとは異なり、欧米人の外観からはある種「機能美」のようなものを感じます。その得体の知れぬ「機能美」を伴った完成されたデザインの人間が、レトロかつシステマティックな垂直の街を闊歩する光景こそが、ニューヨークの魅力なのではないか、と、夜長にぽつんと一度も行ったことのない街について思いを馳せていたところでした。
そう考えると日本は不思議な国です。アメリカが人種のサラダボウルであるならば、日本もまた何かのサラダボウルであることは確かです。あらゆる文化が氾濫している不思議な街が、日本にはたくさんあります。その街を歩く日本人の体躯は欧米人のそれと比べるとお世辞にもよいとは言えませんが、七人掛けの席に腰掛けるのには適しています。話がまとまりませんが、日本にラーメン二郎があってよかったと僕はそう言いたいのです。そんなことを考えていると、朝を目前に、じわじわとよだれが出てきました。秋の夜はとても、とても深いです。



 さて春から暫く楽器に触れていなかったのですが、ふたたびバンドをいくつか動かすことになりました。それに伴い半年ぶりにギターの弦を替えてみたのですが、数あるギターの弦のなかでも圧倒的に錆びにくいとされる高級弦・エリクサーがギターに突っ張ったまま錆びていたのには驚きました。このエリクサーという弦は、「錆びないこと」を売りに他商品の3倍の価格で売られているもので、現に3倍以上長持ちする優良商品ではあるのですが、その性能をもってしてもギターの上で錆びるしかなかった彼の半年という月日はなにやらとても重く感じます。よく見れば埃も積もっています。埃をかぶり、すっかり錆びてしまった自身の腕前が、楽器を弾かずともそこから見て取れるような気がしました。
 知らない間に夏が終わっていました。海や花火やかき氷には、ついに出会うことがありませんでした。唯一、盆も暮れ切ったころにご先祖様の墓前に顔を合わせたことだけ覚えています。歳を重ねるにしたがって、家族や故郷と死にまつわるものでしか繋がっていないことに気付かされ、なにやらとても物悲しい心持です。今はちょうど家の裏の畑に彼岸花が咲いている頃でしょうか。これから先、おそらく彼岸の時期に故郷に帰ることはないでしょう。高校時代に見た彼岸花の記憶を、一生大切にしていかなければなりません。そういえば最後の海は、花火は、かき氷は、いつだったのでしょうか。

 錆びた弦が新品だった時の演奏を聴いています。