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音叉
ラーーーーーー
笑ってにこにこよいブログ
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ブログカテゴリー 音楽 / 文字
課外活動 Soundcloud / Tumblr 

↓以下、時系列に沿って掲載
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 また今年がはじまりました。毎年毎年、飽きもせずに、かわりばえのない一年を繰り返しています。同じなのです。殆ど、同じなのです。年末年始は故郷に帰っていましたが、会う人会う人に「変わってないね」と言われています。高校から、あるいは中学からか、僕はそこから何も変わっていないようなのです。あのころとは環境はちがいます。歳もとりました。衰えもしました。それでもなお、僕は変わっていないようなのです。ただ自分だけが、自分の変化を識っているようでした。僕はあのころよりもずっと、ギターが弾けるようになりました。
 はじめてギターをさわったのは、中学生のころのことでした。はじめてのバンドもそのときに組みました。悲しいことに、中学時代に行った初めてのライブは、人生において三指に入る程の失敗という結果となりました。そのライブはひょんなことから映像として残っており、さらに悪いことに、それがDVD化されて卒業生の各家庭に配られています。そこで大きなトラウマを抱えた僕達は、ライブという形から離れ、バンドという体の宅録ユニットとして音楽をつくって遊ぶようになりました。それは高校の終わりまで続いたのですが、大学進学と同時にそれぞれが散り散りになってしまい、それもやめました。皆、趣味をもちました。それから皆、仕事をつかまえました。
 この年末年始の数日間で、あのころの面子で、当時のままの僕の部屋に集まって、当時の曲のなかから数曲、再録しました。あのころと同じものをつくろうとしましたが、だめでした。やはり何かが決定的に変わっているようでした。技術は勝っていました。質は上がっていました。しかし、環境が、年齢が、それらすべてを崩すだけの熱量が、何一つ失われていました。気付かないふりで、「最高のものができた」と言いました。最高のものができただなんて、今までで一度だって言ったことはありませんでした。

→Soundcloud←

 気付けば12月です。どうしようもありません。卒業論文とは何なのでしょうか。どうしようもありません。100曲入ったアルバムをつくるほうがはるかに簡単に思えます。どうしようもありません。

 そうなのです。一か月前からなにも、なにも進んでいないのです。全く同じ場所に僕はいるのです。ひとつだけ異なるのは、一か月という時間がどこかへいってしまったということです。締め切りまで、ついにあと一週間となりました。重く、暗い一週間がはじまろうとしています。
 一か月のあいだに、バンドのライブがふたつありました。どちらも演奏中のことを覚えていないので、どちらも良いライブができたのでしょう。めでたい。また、それらのライブにあわせて、フットスイッチとジャックがこわれて家でくすぶっていたエフェクターを修理して使用したのですが、これがまた、良い。ライブ前日にドライバーを持ち出してコタツの上で格闘した甲斐がありました。一生もののエフェクターが、またひとつ増えました。いま、ギターと、歪みと、リバーブが「一生ものリスト」に入っています。決まっていないのは、卒業論文の結論部分くらいです。決して順調ではありませんが、ようやく執筆をはじめています。(そういえば、執筆をはじめた一か月前も同じことを言っていたような気がします。)僕のエフェクターボードのような、こんもり雑然とした論文ができあがりそうな気がしています。論文の提出にむけて、資料をひろげて、コタツの上で格闘します。残り一週間。僕は一生ものの文章を書こうと思うわけです。
気付けば11月です。どうしようもありません。卒業論文とは何なのでしょうか。どうしようもありません。100曲入ったアルバムをつくるほうがはるかに簡単に思えます。どうしようもありません。

数曲、学術的根拠の乏しい音楽をつくりました。
→!!!Go soundcloud Go!!!←

ニューヨークの街の良いところは、それがとても垂直な街であるところと、そこにアメリカ人がいることの二点にあると考えています。日本人のそれとは異なり、欧米人の外観からはある種「機能美」のようなものを感じます。その得体の知れぬ「機能美」を伴った完成されたデザインの人間が、レトロかつシステマティックな垂直の街を闊歩する光景こそが、ニューヨークの魅力なのではないか、と、夜長にぽつんと一度も行ったことのない街について思いを馳せていたところでした。
そう考えると日本は不思議な国です。アメリカが人種のサラダボウルであるならば、日本もまた何かのサラダボウルであることは確かです。あらゆる文化が氾濫している不思議な街が、日本にはたくさんあります。その街を歩く日本人の体躯は欧米人のそれと比べるとお世辞にもよいとは言えませんが、七人掛けの席に腰掛けるのには適しています。話がまとまりませんが、日本にラーメン二郎があってよかったと僕はそう言いたいのです。そんなことを考えていると、朝を目前に、じわじわとよだれが出てきました。秋の夜はとても、とても深いです。